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私は、1962年10月東京都品川区で生まれました。
その後大田区に移住し、以後結婚までの30年間多摩川巨人軍グランド
の近くで過ごしました。(育った環境のせいで当然ジャイアンツファンです。
小学校時代の自慢は長島監督のご子息一茂君とリレーで一緒に走った
こと、ただひとつです。)
高校・大学時代は、剣道とアルバイトに明け暮れる毎日を送っていました。
そんな私が、なぜ花の世界に入ったかというと答えは簡単、母親が花市場 |
で働いていたので、高校生のころからずっと花市場でアルバイトしていたからです。
おかげで花市場独特の符丁や隠語、はたまた表の世界も裏の世界も高校生のころにはすっかり覚えてし
まいました。
さて、そんな私ですから、まわりの人間はめでたく大学卒業のあかつきには、当然花市場に就職と思ってい
たらしいのですが、そこはアマノジャクなB型人間の私のことですから、ここはいっちょう全く別の職種
の仕事をしてやろうと思ったのですが、いかんせんその頃の私は、すでに花の魅力にとり付かれていた
ので、卒業後はおぼえめでたく、花業界最大手の日比谷花壇に入社することになりました。
さて、日比谷花壇入社後私が配属されたのは、営業部営業3課(本社の仕入れ担当部門)でした。
またあいも変わらず市場に通う日々が続きました。
時はバブル突入の直前、花業界も行け行けどんどんの時代でした。日本最大の花屋さん、日比谷花壇の
仕入れの仕事はとてもやりがいのある素晴らしい仕事でしたが、(今の私につながる貴重な勉強をさせて
いただきました。)ふと俺はこのままでいいのか?という、若者特有の考えが私の頭の中を駆け巡ったの
でした。
そこで私は一念発起、日比谷花壇を退職し、西麻布にあるフローリストみずぐるまに転職しました。
その頃のみずぐるまは、今でいうトレンディーな花屋さんの先頭集団を突っ走っているような花屋でした。
みずぐるまでは約5年間、マネージャーという大役を任せていただきました。
いやーみずぐるまでの仕事は、ほんと面白かったです。
時代はバブル絶頂期、今では信じられないような注文や仕事もいっぱいありました。
しかしそれもつかの間、また私の頭の中を若者特有の考えが駆け巡ったのでした。
俺はこのままでいいのか‥‥よし!独立しよう。
1992年9月12日、30歳を目前に控えた私は、三鷹の地でついに一国一城の主になったのでした。
それからは山あり谷あり、プロジェクトXでいえば前半20分ぐらいの悪戦苦闘の連続でしたが、
その間、最高のパートーナーである妻を娶り、かわいい2人の子供にも恵まれました。
さて、独立12年目を迎えた2004年6月、もうすっかり中年と呼ばれる歳になった私の頭の中に
またもやあの言葉が駆け巡ったのでした。
俺はこのままでいいのか‥‥よし!インターネットだ。 しっしかしメールもろくに
出来ない俺にホームページなど作れるのか?
それからは42年間の人生の中で3本の指に入るほどの集中で、ホームページ作りの勉強をしました。
ただでさえ少なくなってきた髪の毛がすごい速度で薄くなっていく毎日。
2004年10月、努力の甲斐あって、やっとコテージガーデン第2号店をネット上に開店することが
出来ました。
これからもっともっと商品やサービスを充実させ、お客様には安心してそして楽しく当店でお買い物
いただけるよう、精一杯(でも楽しく)努力し続けていきます。
さぁ、ここからはプロジェクトXの後半20分に突入します。
お客様どうぞお見逃しなく!なんちゃって。
これからもコテージガーデンをどうぞご贔屓によろしくお願い申し上げます。
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